2012年10月アーカイブ

私は坂本堤弁護士とその家族、都子さん、龍彦ちゃんは、自分たちの命を犠牲にして、オウム真理教から日本を、否、世界を救ったのではないかと思います。坂本堤弁護士とその家族の失踪事件が無ければ、オウム真理教の暴走に気づくものはなく、オウム真理教のクーデターは実行されていたのではないかと思います。松本サリン事件の際も、警察も公安も、マスコミもオウム真理教が犯人であるとは全く思っていなかった。河野義行さんという一市民が犯人とされました。地下鉄サリン事件も、オウム真理教と闘っていた一部の弁護士しか、その具体的危険を知らなかった。オウム真理教は、山梨県上九一色村富士ケ嶺のサティアンで、サリンの製造に成功し、山梨県富沢町で自動小銃まで大量生産し始めていたのです。警察や自衛隊にも信者がいました。坂本堤弁護士とその家族の犠牲が無ければ、オウム真理教による大量殺人とクーデターは成功し、多くの犠牲者が出たのであはないかと思います。警察も坂本堤弁護士とその家族の失踪事件がオウム真理によるものとはしていませんでした。オウム真理教が坂本堤弁護士とその家族を拉致したと疑った弁護士が、活動し、オウム真理教を追い詰めていきました。オウム真理教の事件が歴史的な事件として残る限り、坂本堤弁護士とその家族は、日本を救った家族として歴史に残ると思います。そして、このオウム真理教の事件が、弁護士と弁護士の集団が、国の歴史、国民の生命を左右する大きな事件を阻止する決定的な要因になった最初ではないかと思います。私は、平成3年の年末から翌年にかけて、上九一色村の住民から依頼されて、オウム真理を上九一色村から追い出すことができないか相談を受けるようになりました。当時、オウム真理教は、国民からは得体のしれない変な宗教団体であるという程度にしか、認識されていませんでした。また、私は司法修習生のときに坂本堤弁護士と多少ですが面識がありました。坂本堤弁護士は新進気鋭の弁護士であり、一度会っただけで、大物弁護士であることが実感できるような非常にインパクトの強い弁護士でした。私は、山梨県弁護士会の中で多少でも坂本堤弁護士を知っていた唯一の弁護士だったので、坂本弁護士一家救出の活動に参加するようになりました。上九一色村の住民から依頼されてオウム真理と闘うようになった動機の一つには、この活動の中で、坂本堤弁護士とその家族の救出ができればとの思いがありました。そして、すぐに坂本堤弁護士のご両親は山梨県の出身者であり、特に母親のさちよさんは、甲府市上石田の出身であることが分かりました。当時、私は駆け出しの弁護士で甲府の上石田のアパートに妻や子供たちと住んでいたので、何か縁を感じました。そのころから私は、オウム真理相手の裁判を滝本太郎弁護士が中心となって立ち上げたオウム真理被害対策弁護団の一員として行うようようになり、かつ、坂本堤弁護士一家を救出する活動も始めました。私は今でもオウム真理と闘うことができたこと坂本堤弁護士とその家族の殺害事件の真相究明に多少の役に立てたこと、何より山梨県からオウム真理教を放逐できたことを誇りに思っています。
1