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弁護士の敷居が高いというのは、料金だけではありません。それは言いたくないこと、知られたくないこと、それを、知らない人に話すという抵抗感です。家族でさえ味方になってくれない事を、人に話すという抵抗感です。医者に行くのだって、風邪と痔では抵抗感がまるで違う。この敷居を取り払うためには、相談者との信頼関係が大切です。刑事事件で、弁護人との接見交通権が大事なのは、それが、あらゆる刑事被告人、被疑者の権利の入り口のドアだからです。民事の法律相談も同じで、法律相談は全ての人権の基礎であり、入り口のドアでなのです。接見交通権を権力と闘って勝ち取るのと同じ位か、それ以上に法律相談の権利の確立は重要なのです。しかし、一番の問題は、日本には何かあった時に弁護士に相談するという文化がないことです。日本では、まず、家族、親戚に相談し、解決しないと友人、地域の実力者、上司などに相談して、どうにもならなって、初めて、弁護士に相談に来ます。軽い風邪のうちに医者にかかれば、すぐ治るのに、重篤な肺炎になってから初めて医者にかかるようなものです。トラブルは恥ずかしいのでまず、身内に相談し、解決しないとその周囲の人に相談し、最後に裁判が避けられないとなって、弁護士に相談するのです。弁護士は裁判だけをするのではありません。早めに相談してもらえば、話し合いや示談で簡単に解決することもできます。ですから、信頼できる弁護士が身近にいて、気軽に相談できることが大切なのです。(札幌弁護士会川上有弁護士の話)

私が、弁護士をやってきてこの世の中で生きていく上で何が大切かいつも考えさせられます。私は、それは真実であると、躊躇なく答えます。真実が最も大切なものです。人をやる気にさせ、一生懸命にさせるのはそれが真実だからです。人は人を裏切りますが、真実は人を裏切らない。真実ほど強いものはありません。冤罪事件で、何十年もかかって、無罪判決や再審無罪を勝ち取ることがあります。その被告人や支援する家族やそのほかの人々を支えるのはそれが真実だからです。ウソは、人を動かしません。なにより、ウソをつく人を動かしません。それどころか、一度ウソをつくと、その代償は極めて大きいものがあります。警察の自白の強要に屈してウソをつくと、これを覆すことは極めて困難で、一生獄につながれることになりかねません。私もことわざは利用しますが、日本において一番嫌いなことわざは「嘘も方便と」いうことわざです。キリスト教の国にくらべ日本人は小さなうそをつくことについて罪の意識を感じないともいわれます。しかし、これは間違いです。小さな嘘ほど、本当のことを言えなくなってしまいます。小さな嘘ほど、ばれたときに、「なんでこんなウソをつくのか。こんな程度のことでもウソをつく人なら、他にどんなウソをついているか分からない」ということになり、信用も人格評価も全く失われます。一つウソをつくと、そのウソをばれないように、次から次へとウソをつかなければならなくなります。どんな賢い人でも、ウソをばれないようにすることは不可能です。裁判の証人尋問では、弁護士は証人に次々とウソをつかせ、その矛盾を突いたり、それがウソであることの証拠を突きつけて真実を明らかにします。真実は、それ自体が、明らかになるような力を持っていると、私は弁護士の仕事を通じて確信しています。なによりも真実を大切にすること、それが私の信条です。

瀬木比呂志氏の書いた「絶望の裁判所」を読みました。裁判所の内部実態が生々しく書かれていて、驚くばかりです。裁判官を精神的檻、収容所群島の囚人たちとまで言っています。この本を世に出した瀬木比呂志氏の勇気に敬意を評します。裁判所の実態はおそらくこの本の通りの世界だと思います。裁判官の経験のない私たち弁護士にも、なんとなくその状況は分かっていたからです。私も、裁判官を退官した弁護士の話や著作等に直接、間接に接して、推測はしていました。ですが、東大法学部在学中の司法試験合格者で、ある時期までは裁判所での超エリートコースを歩み、33年間裁判官を経験した人物の著作ですから重みが違います。かつて現代の科挙と言われ、年間合格者500人前後の超難関の司法試験にあって、東大在学中の司法試験合格者といえば、学閥重視、成績重視の司法官僚の中では、トップエリートです。私のようにそこそこ一流大学を出ていても、苦節10年で、途中、公務員をしながら、やっとの事で合格したのとはわけが違います。その上、先輩や同僚、元の職場の批判をすることは、大変な非難と中傷を覚悟しなければなりません。このことは裁判官の世界は特にそうかもしれませんが、弁護士の世界でも、その他日本の社会では程度の差こそあれ、同じです。このような中で、裁判所内部の絶望的な状況を本にしたのは、それが真実であり、それ程、裁判所の状況がひどいからではないでしょうか。この本の出版の後ですが、つい最近、福井地方裁判所樋口英明裁判長が大飯原子力発電所の運転を差止める判決を出したこと、横浜地方裁判佐村浩之裁判長が厚木基地での自衛隊機の夜間早朝の飛行差止を認める判決を出したこと、私も弁護団で関わった県会議員の旅費返還訴訟で一審の甲府地裁では敗訴したものの、東京高裁で逆転全面勝訴し、この521日に最高裁判所が山梨県知事の上告を棄却して住民の勝利が確定するなど、「司法は生きていた」と実感させる判決が次々と出ています。私たち弁護士も諦めることなく、裁判所、裁判制度がより良いものになって行くように、この本でも指摘している官僚裁判官(キャリア)システムではなく、法曹一元(弁護士を中心とする法曹の中から優れた人材を裁判官にするシステム)の実現を目指して行きたいと思います。

法律相談は、全ての人権の基礎であり、人権擁護の入り口のドアです。しかし、残念なことに、日本には何か困った時に弁護士に相談するという文化がありません。世間では、何か困った時、弁護士に相談しようと言う発想がないのです。世間では、弁護士に相談するのは、万策尽きてもう裁判に訴えるしかないと思った時とか、裁判に訴えられた時に、初めて弁護士に相談しようと考えるのが実際です。もっと前に相談に来てもらえれば、話し合いで解決できたのに、泥沼の紛争になってから初めて弁護士に相談に来ます。私は、それを変えなくてはならないと思っています。少しでも体調が悪い時に病院に行けば、助かる命も、相当悪化して余命半年という状況で病院に行っても救命は困難です。何か少しでも困ることがあったらとにかく弁護士に相談するというのが当たり前の社会になって、初めて国民の人権が保障される社会、法の支配の貫徹される社会が実現されるのです。ほんの少しでも困ったことがあったらとにかく弁護士に相談してみて下さい。笑われるのではとか、呆れられるのではなどとは一切考えないでください。ほんの少しでも困ったら気軽に弁護士に相談する、そういう社会の実現することが私の心から願うことです。
先日、リーガルハイ2再放送を録画しておいて見ました。前のリーガルハイもテレビで見ました。リーガルハイは、実際の法廷や訴訟実務と極端にかけ離れ、かつ誇張されたフィクションなのに、実に面白い。我々、本物の弁護士が見ても面白い。どうして面白いか考えました。昔と異なり、今や社会の矛盾の全てが裁判に現れます。テレビのニュースで判決や裁判が取り上げられていない日はないほどです。世の中の本音と建前、理想と現実、何をどう評価し、どう裁くか、裁判所も弁護士も日々、判断を迫られ続けています。これは実際の裁判で行われている事実であり、リーガルハイは、その危うさと深刻さを、分かりやすく面白おかしく、見せているから面白いのだと思います。裁判自体や登場する弁護士が面白いのではなく、そこで取り上げられている現在の社会の矛盾の相剋のきわ立ちが面白いのです。ドラマの中のやり取りも手続きも、実際とかけ離れているし、あり得ないが、そこで争われている評価や価値観の相克、社会の矛盾と人生の有り様はまさに現実の法廷であり、本質はリーガルハイのドラマとほとんど同じなのです。アメリカ最高裁判事として有名なホームズ判事の言葉に「君たちが悔いのない仕事をしたいなら、君たちは時代の苦悩の中に身を置かねばならない。」という言葉があります。弁護士は、社会の矛盾、時代の苦悩の中に身を置かなければならない。社会や世の中の矛盾、時代というものが弁護士を成長させ、いい仕事をさせるのです。