弁護士の敷居が高いというのは、料金だけではありません。それは言いたくないこと、知られたくないこと、それを、知らない人に話すという抵抗感です。家族でさえ味方になってくれない事を、人に話すという抵抗感です。医者に行くのだって、風邪と痔では抵抗感がまるで違う。この敷居を取り払うためには、相談者との信頼関係が大切です。刑事事件で、弁護人との接見交通権が大事なのは、それが、あらゆる刑事被告人、被疑者の権利の入り口のドアだからです。民事の法律相談も同じで、法律相談は全ての人権の基礎であり、入り口のドアでなのです。接見交通権を権力と闘って勝ち取るのと同じ位か、それ以上に法律相談の権利の確立は重要なのです。しかし、一番の問題は、日本には何かあった時に弁護士に相談するという文化がないことです。日本では、まず、家族、親戚に相談し、解決しないと友人、地域の実力者、上司などに相談して、どうにもならなって、初めて、弁護士に相談に来ます。軽い風邪のうちに医者にかかれば、すぐ治るのに、重篤な肺炎になってから初めて医者にかかるようなものです。トラブルは恥ずかしいのでまず、身内に相談し、解決しないとその周囲の人に相談し、最後に裁判が避けられないとなって、弁護士に相談するのです。弁護士は裁判だけをするのではありません。早めに相談してもらえば、話し合いや示談で簡単に解決することもできます。ですから、信頼できる弁護士が身近にいて、気軽に相談できることが大切なのです。(札幌弁護士会川上有弁護士の話)
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瀬木比呂志氏の書いた「絶望の裁判所」を読みました。裁判所の内部実態が生々しく書かれていて、驚くばかりです。裁判官を精神的檻、収容所群島の囚人たちとまで言っています。この本を世に出した瀬木比呂志氏の勇気に敬意を評します。裁判所の実態はおそらくこの本の通りの世界だと思います。裁判官の経験のない私たち弁護士にも、なんとなくその状況は分かっていたからです。私も、裁判官を退官した弁護士の話や著作等に直接、間接に接して、推測はしていました。ですが、東大法学部在学中の司法試験合格者で、ある時期までは裁判所での超エリートコースを歩み、33年間裁判官を経験した人物の著作ですから重みが違います。かつて現代の科挙と言われ、年間合格者500人前後の超難関の司法試験にあって、東大在学中の司法試験合格者といえば、学閥重視、成績重視の司法官僚の中では、トップエリートです。私のようにそこそこ一流大学を出ていても、苦節10年で、途中、公務員をしながら、やっとの事で合格したのとはわけが違います。その上、先輩や同僚、元の職場の批判をすることは、大変な非難と中傷を覚悟しなければなりません。このことは裁判官の世界は特にそうかもしれませんが、弁護士の世界でも、その他日本の社会では程度の差こそあれ、同じです。このような中で、裁判所内部の絶望的な状況を本にしたのは、それが真実であり、それ程、裁判所の状況がひどいからではないでしょうか。この本の出版の後ですが、つい最近、福井地方裁判所樋口英明裁判長が大飯原子力発電所の運転を差止める判決を出したこと、横浜地方裁判佐村浩之裁判長が厚木基地での自衛隊機の夜間早朝の飛行差止を認める判決を出したこと、私も弁護団で関わった県会議員の旅費返還訴訟で一審の甲府地裁では敗訴したものの、東京高裁で逆転全面勝訴し、この5月21日に最高裁判所が山梨県知事の上告を棄却して住民の勝利が確定するなど、「司法は生きていた」と実感させる判決が次々と出ています。私たち弁護士も諦めることなく、裁判所、裁判制度がより良いものになって行くように、この本でも指摘している官僚裁判官(キャリア)システムではなく、法曹一元(弁護士を中心とする法曹の中から優れた人材を裁判官にするシステム)の実現を目指して行きたいと思います。