私は坂本堤弁護士とその家族、都子さん、龍彦ちゃんは、自分たちの命を犠牲にして、オウム真理教から日本を、否、世界を救ったのではないかと思います。坂本堤弁護士とその家族の失踪事件が無ければ、オウム真理教の暴走に気づくものはなく、オウム真理教のクーデターは実行されていたのではないかと思います。松本サリン事件の際も、警察も公安も、マスコミもオウム真理教が犯人であるとは全く思っていなかった。河野義行さんという一市民が犯人とされました。地下鉄サリン事件も、オウム真理教と闘っていた一部の弁護士しか、その具体的危険を知らなかった。オウム真理教は、山梨県上九一色村富士ケ嶺のサティアンで、サリンの製造に成功し、山梨県富沢町で自動小銃まで大量生産し始めていたのです。警察や自衛隊にも信者がいました。坂本堤弁護士とその家族の犠牲が無ければ、オウム真理教による大量殺人とクーデターは成功し、多くの犠牲者が出たのであはないかと思います。警察も坂本堤弁護士とその家族の失踪事件がオウム真理によるものとはしていませんでした。オウム真理教が坂本堤弁護士とその家族を拉致したと疑った弁護士が、活動し、オウム真理教を追い詰めていきました。オウム真理教の事件が歴史的な事件として残る限り、坂本堤弁護士とその家族は、日本を救った家族として歴史に残ると思います。そして、このオウム真理教の事件が、弁護士と弁護士の集団が、国の歴史、国民の生命を左右する大きな事件を阻止する決定的な要因になった最初ではないかと思います。私は、平成3年の年末から翌年にかけて、上九一色村の住民から依頼されて、オウム真理を上九一色村から追い出すことができないか相談を受けるようになりました。当時、オウム真理教は、国民からは得体のしれない変な宗教団体であるという程度にしか、認識されていませんでした。また、私は司法修習生のときに坂本堤弁護士と多少ですが面識がありました。坂本堤弁護士は新進気鋭の弁護士であり、一度会っただけで、大物弁護士であることが実感できるような非常にインパクトの強い弁護士でした。私は、山梨県弁護士会の中で多少でも坂本堤弁護士を知っていた唯一の弁護士だったので、坂本弁護士一家救出の活動に参加するようになりました。上九一色村の住民から依頼されてオウム真理と闘うようになった動機の一つには、この活動の中で、坂本堤弁護士とその家族の救出ができればとの思いがありました。そして、すぐに坂本堤弁護士のご両親は山梨県の出身者であり、特に母親のさちよさんは、甲府市上石田の出身であることが分かりました。当時、私は駆け出しの弁護士で甲府の上石田のアパートに妻や子供たちと住んでいたので、何か縁を感じました。そのころから私は、オウム真理相手の裁判を滝本太郎弁護士が中心となって立ち上げたオウム真理被害対策弁護団の一員として行うようようになり、かつ、坂本堤弁護士一家を救出する活動も始めました。私は今でもオウム真理と闘うことができたこと坂本堤弁護士とその家族の殺害事件の真相究明に多少の役に立てたこと、何より山梨県からオウム真理教を放逐できたことを誇りに思っています。
弁護士についての最近のブログ記事
ある少年事件を受任して「大人になるということはどういうことか」つくづく考えさせられました。少年の強盗傷害事件だったのですが、被害者もまた少年(大学生)でした。しかし、被害者自身後遺症を残るほどの大けがを負っていたにもかかわらず、示談に応じてくれたのです。少なくとも事件までは、相手の立場に立って物を考えることのできなかった加害少年と被害を受けても相手の立場で物を考えることのできる被害少年を目の当たりにして、大人になるということは、相手の立場になって物を考えることのできる能力を身につけることではないかとつくづく思いました。加害少年もこれから相手の立場になって物を考えるようになってくれれば、おろかな犯罪を行うことはないと思いました。ひるがえって考えてみると、大人でも相手の立場に立って考えることができなくなっている人もいます。自分の地位に慢心していると、相手の立場が見えなくなる。弁護士も初心を忘れると、依頼者の立場で考えることができなくなる。自分は大人であると思っていたのに、本当にそうなのだろうかと思いました。つねに依頼者の立場で考えられる弁護士でいたいと思っています。
弁護士の仕事を続けてきて、この世の中で一番大切な物は何かと問われて、躊躇なく答えることができる答えがあります。それは、「真実」です。依頼者はいつも岐路に立たされ、悩み続けます。その時、何を基準にして決断するのか。真実は何かです。人は裏切っても真実は人を裏切らない。うそでは、人はがんばれない。人にやる気を起こさせ、困難に耐えさせるのは、真実です。ですから私は「嘘も方便」ということわざが大嫌いです。このくらい、人を誤らせるものはない。むしろ、「嘘は泥棒の始まり」というのは、きわめて正しい格言です。小さな嘘を一つつくと、もっと大きな嘘をつかなくければならなくなります。そして、本当のことを言えば、すべての信用を失うので、嘘をつき通さざるを得なくなります。小さなうそなら許されると勘違いしている人もいます。むしろ逆です。小さな嘘だからこそ、本当のことを言えなくなる。「なんでそんなつまらいことで嘘をつくのか」と思われ、まったく信用を失うのです。些細な小さなことで嘘をつく人間は、どんな大きな嘘をついているのか分からないと思われてしまうのです。真実を素直に受け入れ、開き直って真実で勝負することが、裁判でも、人生でも大切であると思っている次第です。
アメリカ連邦最高裁判事として有名なホームズ判事の言葉に「君たちが悔いのない仕事をしたいなら、君たちは時代の苦悩の中に身を置かねばならない。」という言葉があります。およそこの社会の争いは、社会の矛盾、時代の矛盾の中から生まれてきます。会社の倒産も労働事件も、家庭内の紛争も、根っこのところでは現代の矛盾、貧困化、クローバリズム、新自由主義などが基にあります。私も時代の苦悩の中に身を置いてそこから一つ一つの事件を解決していきたいと思っています。
もうずいぶん前のある夜のことです、私は溜った仕事がやりきれず、事務所で遅くまで仕事をしていました。夜9時か10時を過ぎた頃でしょうか。事務所の電話が鳴りました。電話に出ると、相手は名乗りもせず、突然「自分は今さっき人を殺してしまいました。そんな自分でも相談に乗ってくれますか」と言いました。びっくりしました。しかし、こんなとき弁護士は答えるのに躊躇してはいけないのです。弁護士の答えはこうです。「弁護士の最大の仕事で、最大の義務は依頼者の秘密を守ることです。どんなに優れた弁護士でも、これができなければ失格です。弁護士はあなたを警察に突き出したり、通報はしません。自首を勧めるくらいのことはあるかもしれませんが、安心して相談に来てください。」結局、その人は相談にやってきました。もっとも、その方は殺人者ではありませんでしたが、しかし、他人から見れば、それほどのことではなくとも、本人にとっては、殺人を犯したのと同じくらい深刻なことはあるものです。殺人者の秘密をも守ってくれるなら、自分のことも守ってもくれるに違いないというのが、弁護士に対する信頼なのです。